生きてる人間の方が怖いって時あるよね...(母との話から)

父の四十九日を迎えた。
あの日から今日まで早かったようなそうでもないような。

仕事のお休みを取らせてもらえたので、実家に赴き父の遺影に手を合わせた。
ギリギリ意志疎通ができていた頃の写真を遺影にしてあり、その微かに穏やかな笑みを浮かべる父の顔を見ただけで胸がいっぱいになり、喉の奥が痛くなった。
涙を流れるままにして、遺影に向かって声をかけようにもうまく言葉が出ず、目を閉じて心の中で語りかけるしかできなかった。
目を開けてみると、ろうそくの炎が"らしくない"力強い揺れを見せていて、それをしばらく眺めていた。

気温が30度を越して、一気に夏が来て、蝉も鳴き始めて、日々が確かに過ぎていくのを否が応でも実感するような日だった。

父が永遠の眠りについてから、母とは時折電話で話していたが、今回はゆっくりと思い出話や世間話などを話していて、気づけば5時間ぐらい経っていた。

その中で、「なぜこんなに早く危篤状態になり、息を引き取ってしまったのか?」という疑問について新たな事実を知った。
看取りをしてくれる病院への転院手続きに、不可解な点があったのだ。はっきり言ってしまえば亡くなった時にいた病院の落ち度である。
転院手続きに必要な書類をDr.が記入してあったにも関わらず、それを母に知らせていなかったのである。せっかく転院の段取りをしてくれる人に出会えて、転院できていたら症状も多少好転していたかも知れなかったのに...
書類は父が亡くなって病室の荷物を整理している時に見つかったのだから、なんともやるせない気持ちでいっぱいだ。
なぜこんなことになったのか、原因を問うたところで、もう父は返ってこない。
悔しい思いがじわじわと胸の中に広がった。

他にも、入院する前にリハビリで散歩をしている時に足元がおぼつかない状態だったので、父と母は手を繋いでいた。杖をついていたとしても、きっと父は不安だったんだろう。
それを見ていたご近所さんが、面と向かって母には全くそんな感じのことは言わないのに、陰では他人に「あんな年寄なのに手を繋いで気持ち悪い」と話していたのを聞いてしまった、ということがあった。

それから、もともと没交渉だった父方の親戚からの心ない言葉も拍車をかけたようで、母は姻族関係終了届を出すと言う。
これからの母の人生、やりたいようにやれば良い、もう随分と色んなことを我慢してきたのだから、そろそろ報われてほしい。
今は素直にそう思う。

そんな母は近々引越しをする。
同居は無理だが、自分の住んでいるところからは、今までよりもさらに近居になる。
母にしてみれば、今回の引越しは期待半分・不安半分だが残りの人生は地縁血縁のないところよりも、子供の近くで安心しながら、暮らしたいとようやく思いが固まったんだそうだ。

今の母はしなければいけないことが、まだまだあるからと言ってそれなりに忙しそうにしている。
今回の引越しを含め、色んなことがうまく進めば良いなぁと切に思う。