今はまだ白い壺のなかだけど。

今週のお題「おとうさん」

もう二度と会えない父。
まだ四十九日も迎えてない。

母の日よりも影の薄い父の日。
でも今年は、買い物先やらで「父の日特集」なんて目にすると心が乱される。

手先が器用で、通学用の自転車が壊れた時に、ささっと修理してくれたその背中だとか、「誰々が解説者やから今日は巨人負けやな」とか言いながら結局最後までビール片手にTV中継見てたのを、横目に見ながら野球のルールを教えてもらったり、一人暮らしが決まって引越しの時に、頼りない自分を見かねてか、「心配やから手伝うわ」って600㎞も離れたところまでついてきたり。

言葉少なな人だったけど、だからこそボソッと言う洒落がおもしろい人だった。

こっぴどく叱られたことも、手をあげられたことも記憶の中になく、したいことがあれば頑張れと応援してくれた。
運動会は仕事と重なって来てくれなかったけど、休みが取れた日には、あちこちドライブに連れていってもらった。
愛されて育ててもらったんだなぁと改めて感謝している。

晩年の父は、どんな思いで日々過ごしていたんだろう。病に倒れてから思うように動けなくなっていく感覚や、「子供たちに会いたい」と自らの死期を悟ったような言葉...
今は「父=死」と思ってしまう。

危篤の報せを受けたあと、母でさえ臨終に間に合わず、病院で一人息を引き取った父。

そのあとのお別れの集まりでは「今にも起き上がりそうな」父を囲んで、こじんまりと静かで穏やかであたたかい時間が流れていたのを思い出すと、多少救われる気がする。
それと同じぐらい、通夜の間何度さわっても体が冷たかったのが昨日のことのように思い出される。

納棺から骨上げまではあっという間でその時は「父が死んだ」という事実を全く実感できてなかったが、今はじわりじわりと悲しみが押し寄せてきたりして、このブログも書くかどうか悩んだ。

でも「父の日だからではなく、日々ふとした瞬間に思い出すことが、自分には合っているかも知れない。」
そう思い直して書き残すことにした。
だって「忘れられること」ほどつらいことはないだろうから。

お父さん、自分はお父さんの"自慢の子供"ではなかったかも知れないけど、あなたが生きた証は確かにこの世に残っているよ。
お母さんのことは、自分たち子供に任せてゆっくり休んでいいからね。

改めて、お父さんありがとう。
おやすみなさい。