これまでとこれから(本音)

仲のよかった友人と、距離を感じるようになった。

しばらく公私ともども忙しかったが、その間も元々は波長が合うな、と思っていた人だったので折に触れてコンタクトをとろうとしていた。

何故なら、別々の世界に生きていても、価値観の相違が多少あっても"わざわざ"時間を作って話したい人だったからだ。

連絡が途絶え始めてからは
「自分の何が悪かったのか?」
「友人に何かあったのか?」...
と一人でぐるぐる考える日々が続いている。

以前は忙しくても頻繁に連絡をとっていた間柄だったから、近況も分からない今となっては「つまりそういうこと(もう関われないと相手が思っているが、悪者になりたくないからそれを伝えてこない、ということ)なんだろうなぁ」と半ば諦めている。

「メールや着信に気づいているはずなのに、スルーし続ける感覚ってどういうものなのか」が自分にはどうしても理解できない。

だからこそ「自分の選んだ言葉で本音を言ってほしかった」と思う。
だけど、同時にこの"本音"という単語に引っかかりを感じてもいる。

「自分に言ってほしい言葉」を言われることで自分自身が納得して腑に落ちて、それを(相手からの)本音だとするのか?

それならもし、別の予想もしてなかった言葉やただの社交辞令的な言葉だけが返ってきた時、自分は納得できるのだろうか...?

否。

少しも納得してないから、こんな駄文を書き連ねたりしてるし、小一時間相手を問い詰めたい願望もあったりする。(実際にはもちろんしないけど)

本音を本音だと言い切れるのは、結局言った本人のみで、それを信じるならその言葉を受け取った方も本音だと認めざるを得ないということなんだろう。

件の友人にはもう二度と「またね」と言えなくなってしまったのが、ただただ悲しいけれど、多分それまでの縁だったのだというのが、ぐるぐる考えている今の自分の本音なんだろうなぁと思う。(認めたくないけど、抗ったり希望を持って行動しても後で失望するのが予想できてるから、そろそろしんどくなってきたし。)

ゆっくり時間をかけて仲良くなったから、「今も元気でいるかな。ソファじゃなくてちゃんとベッドで寝てるのかな」と心配しなくなったり、近況を知らなくても平気になるのは、恐らく知り合って仲良くなるまでと同じくらいか、それ以上の年月が必要かも知れないな。

前に進むためには、時にはなにかを手放さないとだめなこともあるんだ、今がその時なんだ。

頑張れ、自分。