PDなのに鉄分不足で困ってる話

※ここで言う鉄分はFeではないので、その点誤解無きよう。

毎日通勤で電車には乗っている。
でもそれで満足してるわけじゃなくて‼

あぁ今日は梅小路公園に行きたい。
というより行きたかった。
でも先約があって、行けない。
先約入れた自分、バカヤロウだ...

京都鉄道博物館ではトワイライトエクスプレス瑞風運行開始から1周年ということで、新旧トワイライトエクスプレスを特別に並べて展示してるらしい。
そのお顔を拝みたい...

本来自分は属性的には調べ鉄だけど、それもまだ"見習い"レベル。
ダイヤグラムや路線図、時刻表が好物。

でも厳密にはカテゴライズせず、乗るのも見るのも、車窓を眺めるのも、車掌さんのアナウンスを聴き比べるのも大好きで、車両工場見学に行った日にはパンタグラフが、がっしゃんがっしゃん上下してるのなんて永遠に見ていられる。

それから、我ながら気持ち悪いかもとも思うし、完全に余談で、理解ある同志はいないと思うけど...と一応断りを入れるが、運転がとても上手くて乗り心地がいいときには「この運転手さんなら抱かれてもいい」と思うことがある。

で、タイトルに戻る。
だって、通勤で電車に乗るって基本一人行動且つ時間に余裕がない。
PDもちで、つい回避行動で目をつぶってしまっているから車窓なんて楽しめないし(本当は海沿いを走る路線なのでとてもとてもきれいなのに)、一刻も早く降りたい、そうでなければ座らせてくれ、吐きそう、JKのお喋りうるさい、一体何の修行?と毎朝電車に乗ること=つらさしかない。

PDになる前とは雲泥の差。
普通にできてたことが突然できなくなるばかりか、足枷になるなんて。

で、話は少し戻って。
父の通夜で語り合っていた時、叔父の一人も鉄っちゃんで仕事もその業界だと判明し、何年も没交渉だったにも関わらず、瑞風の話でしばし盛り上がったということがあった。

いつか、瑞風の全ルートを制覇をしたいと思っているから、これでまた死ねない理由ができたな。なんて思った。

今はまだ白い壺のなかだけど。

今週のお題「おとうさん」

もう二度と会えない父。
まだ四十九日も迎えてない。

母の日よりも影の薄い父の日。
でも今年は、買い物先やらで「父の日特集」なんて目にすると心が乱される。

手先が器用で、通学用の自転車が壊れた時に、ささっと修理してくれたその背中だとか、「誰々が解説者やから今日は巨人負けやな」とか言いながら結局最後までビール片手にTV中継見てたのを、横目に見ながら野球のルールを教えてもらったり、一人暮らしが決まって引越しの時に、頼りない自分を見かねてか、「心配やから手伝うわ」って600㎞も離れたところまでついてきたり。

言葉少なな人だったけど、だからこそボソッと言う洒落がおもしろい人だった。

こっぴどく叱られたことも、手をあげられたことも記憶の中になく、したいことがあれば頑張れと応援してくれた。
運動会は仕事と重なって来てくれなかったけど、休みが取れた日には、あちこちドライブに連れていってもらった。
愛されて育ててもらったんだなぁと改めて感謝している。

晩年の父は、どんな思いで日々過ごしていたんだろう。病に倒れてから思うように動けなくなっていく感覚や、「子供たちに会いたい」と自らの死期を悟ったような言葉...
今は「父=死」と思ってしまう。

危篤の報せを受けたあと、母でさえ臨終に間に合わず、病院で一人息を引き取った父。

そのあとのお別れの集まりでは「今にも起き上がりそうな」父を囲んで、こじんまりと静かで穏やかであたたかい時間が流れていたのを思い出すと、多少救われる気がする。
それと同じぐらい、通夜の間何度さわっても体が冷たかったのが昨日のことのように思い出される。

納棺から骨上げまではあっという間でその時は「父が死んだ」という事実を全く実感できてなかったが、今はじわりじわりと悲しみが押し寄せてきたりして、このブログも書くかどうか悩んだ。

でも「父の日だからではなく、日々ふとした瞬間に思い出すことが、自分には合っているかも知れない。」
そう思い直して書き残すことにした。
だって「忘れられること」ほどつらいことはないだろうから。

お父さん、自分はお父さんの"自慢の子供"ではなかったかも知れないけど、あなたが生きた証は確かにこの世に残っているよ。
お母さんのことは、自分たち子供に任せてゆっくり休んでいいからね。

改めて、お父さんありがとう。
おやすみなさい。

だって梅雨だもの。諦めたり楽しんだり。

今週のお題「雨の日の過ごし方」

低気圧頭痛+むちうち症もちなので、「あー雨降るなー頭痛来るなー」と憂うつになるのが予測できる。(自分の中では"首予報"と呼んでいる)

はじめは首周辺から後頭部にかけて、ぼわぼわ~っとなんとも言えない不快感が来て、その後左側頭部に拍動性頭痛が来る。

飲み合わせに禁忌がないのを薬剤師さんに確認してあるので、いつものPD内用薬を飲み、市販の頭痛薬を飲んでしのごうとする。

それでも仕事の日は、職場に何とか赴き仕事を粛々とこなしている。

問題は休みの日。
睡眠負債を解消するための「寝だめはNG」と分かっているけどついついやってしまう...

「起きなくていいや」と思うと本当起きない。
正確にはwake upするけどget upしないみたいな。
お腹がすいたな、でやっと布団から抜け出す。
で、「半日無駄にした」感に苛まれる。
おまけに"寝過ぎて頭痛"も結構な頻度で起こる。

運よく体調が良ければ、読書三昧、掃除やその他の家事をこなせるけど、そうでなければ布団LOVEに成り下がる。

入梅して楽しみなのは、いつもの通勤路にあるよそ様のおうちの紫陽花の開花具合を見届けるぐらいだろうか...
日を追うごとに、まあるく咲き揃っていって、しばらく目の保養をさせてくれて、そのうち枯れて、しぼんで茶色になってしまうまで、その変化を見ている。
咲き揃ったところで「今年もきれいに咲いたなぁ」と、季節が確かに進んでいるのを実感する。

きれいなものを見て、心穏やかになる瞬間があるのも生きていればこそなのだ。
例え靴の中が濡れてしまって、歩く度ぐじぐじした嫌な感触に頭のなかが占領されそうになっても。

知らんがな

今自分を取りまくネガティブなあれこれを、この一言で全て振り払いたい。

今朝も眠くて眠くて眠い。
残業、残業で帰宅したら、お腹が空きすぎて何を食べたいか分からん日々が続く。もちろん孤食。味もイマイチ分からない。
あとはお風呂入って寝るだけ。

やりたいことできてない、なりたい自分になれてない。
こんな時は自己開示をあまりしない。

みんなもきっとそれぞれのcapacityの中で、頑張ってるんだろな。

あぁ目がしびしびする。
働く場があること、必要とされてることに感謝してとりあえず行ってきます。

Lemon(米津玄師)

歌詞がささりすぎてつらい。
なのに何度も聞く。

いつまでも同じところにいる訳にはいかないから。
あえて浸る。
浸っている自分を俯瞰で見る。

軽やかに笑顔で生きていけたら。
ぶれない自分軸を持っていられたら。

出口の見えないトンネルの中にいる?
でもトンネルなら出口はあるだろ?
そう、ここがトンネルなら出口はある。

今はまだ出口から射し込む(だろう)光に手を伸ばしてもがいている。

もう少しもう少し。

これまでとこれから(本音)

仲のよかった友人と、距離を感じるようになった。

しばらく公私ともども忙しかったが、その間も元々は波長が合うな、と思っていた人だったので折に触れてコンタクトをとろうとしていた。

何故なら、別々の世界に生きていても、価値観の相違が多少あっても"わざわざ"時間を作って話したい人だったからだ。

連絡が途絶え始めてからは
「自分の何が悪かったのか?」
「友人に何かあったのか?」...
と一人でぐるぐる考える日々が続いている。

以前は忙しくても頻繁に連絡をとっていた間柄だったから、近況も分からない今となっては「つまりそういうこと(もう関われないと相手が思っているが、悪者になりたくないからそれを伝えてこない、ということ)なんだろうなぁ」と半ば諦めている。

「メールや着信に気づいているはずなのに、スルーし続ける感覚ってどういうものなのか」が自分にはどうしても理解できない。

だからこそ「自分の選んだ言葉で本音を言ってほしかった」と思う。
だけど、同時にこの"本音"という単語に引っかかりを感じてもいる。

「自分に言ってほしい言葉」を言われることで自分自身が納得して腑に落ちて、それを(相手からの)本音だとするのか?

それならもし、別の予想もしてなかった言葉やただの社交辞令的な言葉だけが返ってきた時、自分は納得できるのだろうか...?

否。

少しも納得してないから、こんな駄文を書き連ねたりしてるし、小一時間相手を問い詰めたい願望もあったりする。(実際にはもちろんしないけど)

本音を本音だと言い切れるのは、結局言った本人のみで、それを信じるならその言葉を受け取った方も本音だと認めざるを得ないということなんだろう。

件の友人にはもう二度と「またね」と言えなくなってしまったのが、ただただ悲しいけれど、多分それまでの縁だったのだというのが、ぐるぐる考えている今の自分の本音なんだろうなぁと思う。(認めたくないけど、抗ったり希望を持って行動しても後で失望するのが予想できてるから、そろそろしんどくなってきたし。)

ゆっくり時間をかけて仲良くなったから、「今も元気でいるかな。ソファじゃなくてちゃんとベッドで寝てるのかな」と心配しなくなったり、近況を知らなくても平気になるのは、恐らく知り合って仲良くなるまでと同じくらいか、それ以上の年月が必要かも知れないな。

前に進むためには、時にはなにかを手放さないとだめなこともあるんだ、今がその時なんだ。

頑張れ、自分。

メールの差出人は文豪たち

読書は好きだけど、最近なかなか紙の本を手に取る機会も気力も無い...
そんな時に出会った「ブンゴウメール」というニッチなサービス。

5月から購読開始して、今2ヶ月目。
青空文庫で公開されている、著作権切れしている短編を1ヶ月かけて読む。

メールチェックのついでに読める分量で、とてもとても良い感じ。

併読、積ん読当たり前な自分にははまる。

ほげにしさん、ありがとう。
このサービスを教えてくれた人、ありがとう。