どうせ邪なことしか考えてないからね

ただ、行動にうつさないだけ。

嘘をつかない、本当のことを言わないだけ。

不純な動機の何が悪い?
その方が人間頑張れるって時もある。

自分のことが一番大事だから、壊れてしまわないように防御するため、人と関わるときは自分のすべてをさらけ出さないようにする。

持ちすぎは良くない。それをうまく抱えることができないのなら、手放す努力をしないといけない。

三連休の初日に何言ってるんだろう...

「羨ましい」ばかりを言う人生をやり直したい。

でも、セーブポイントが分からないから諦めの境地。

うまく息抜きできないのって、本当損。

読了メモを見返してみたら見事にジャンルがばらばらで我ながら苦笑した件。

今週のお題「読書の秋」

読書についてどんなアプローチで書こうかなぁと思って、過去に読んだ本のタイトルをひたすら記録したメモ帳を見たら、タイトル通りだった。

でもそもそもなんでそんな記録を残そうと思い立ったんだっけ...?

現在41ヶ月目で127冊読了。
数字だけ見ると多読でもないし、電子と紙両方合わせてだし、おまけに内容を思い出せない本すらあるし...

そうだ‼思い出した‼
本好きの友達からお薦め本を借りて、「これは借りたものだから返さねばならんものだ」とメモ帳アプリに書き込んだのが始まりだった。

その友達とは借りた本を返すときに、自分のお薦めを貸すということを繰り返していて、その当時のジャンルはシリーズもののラノベが多かったなぁ。

もともと自分自身は子供の頃からミステリを好んで読んでいたけど、違うジャンルの開拓をという感じではまってた時期だったと思う。

そのあとは啓発本や、古典、アニメ化された作品の原作本、医学系(これはPD発症してから特に)、などなど...

ここ1年くらいは森見登美彦さんの本にはまってるなぁ。
ようやく「熱帯」が書店に並ぶと知って、これは読まねば...と一人にまにましている。
「次に読みたい本がある」ってなんてステキなんだろう。
(常に併読、積ん読の状態にも関わらず)

そう言えば、上述の友達は「本にかけるお金は惜しまない。お金をかけることで、その本の作者に良いものを書き続けてほしいから」と語ってたっけ。

自分もそれには同意見なので、今後も電子か紙かは問わず、今読みたい本を買ってご機嫌になろう。

はてなさんから「お元気ですか」とメールが来たので。

はてなブログさま

ここ1ヶ月、どうにもこうにもさっぱり心身ともお元気ではありませんでした。
詳しくは書けませんが、つまるところ達成感がなくふわふわふわとした日々が過ぎて、気づいたらこんなに日が経っていたというのが実感としてあります。

実際のところ、公私ともそれなりに忙しくご飯も三食いただいて、例によってPDとやらと毎朝闘ったりもしていた気がします。
笑顔になれる瞬間がなかったと言えば嘘になりますが、口角が上がってないことに気づいて負のループ突入寸前であると危機感ひしひしです。

ブログに書くネタは数多あれど、「どーれーにしーよぉっかなー」と頭を悩ましているうちウニャウニャウニャ...

日が空いてもまだ飽きた訳ではないので、日記は続けます、そのつもりです。
好きな音楽聴いて、好きな本読んで、無理矢理にでもテンション上げて出勤です。もうすぐ職場の最寄り駅到着。

行ってきまーす。

さぁて...いつまで続くだろう

「熱しやすく冷めやすい、でも結局...」
これは自分が自覚している性格のひとつ。

気になるなぁー
どーしょっかなー
やめとこっかなー
お試しでやってみよっかなー

などとぐるぐる考えて結局「迷ったらやってみる」ということで...

趣味の読書について今まで色んな関わり方を
してきたけれど、前回の"文豪メール"に続いて
今回は電子図書館のアカウントを取得した。

今のところまだ使い始めたばかりで
とりあえず2冊積んでる状態。
14日過ぎたら自動的に"返却"らしい。

母の引越しにまつわるエトセトラがやっと
落ち着いてきたので
ようやく自分のご機嫌を取る方へベクトルを
向けることができる状態になったのが大きい。

それにしてもここ数ヶ月特にしんどかったなぁ...

しんどい日々が続くなか

FIVE NEW OLD
フレデリック
米津玄師
Nulbarich

あたりの曲たちに癒されたり励まされたり
しながら、自分の感情をごまかしながら
過ごしてきたけど、やっぱり読書は良い。

そう言えば...
読書好きなあの人、元気にしてるかなぁ。

納得できない別れ方をしたけど
幸せに暮らしてたらいいなぁなんて
本の話を書いてたら不覚にも
余計なことまで思い出してしまった。

そんな3連休の真ん中の夜。

あほくさ、めんどくさ、どさくさ

今回はお仕事の話。

三連休をはさんで沈静化したかと思いきや、職場では事務の取扱いについて"担当者"会議を絶賛開催中。
「議会月でもあるのに大変やねぇ...」と、その会議の主担当ではない自分は、結論がどこに着陸するのか静観するのみである。

現在の職場は、四月の異動の際にメンバーが半分以上変わっており、且つ毎月のスケジュールが決まっているなかで、ろくな引き継ぎもないまま約半年。
未だに運用の仕方を模索中...こんな酷いところ初めてだ。

個人的にはできるだけ合理的に進めたい、仕事のための"無駄な"仕事はしたくない。その為にはどうする?
皆それぞれの立場から思うところはあるだろうけど、愚痴ばかりで建設的な意見はなかなか出てこない。
「前いた人たちは文句も言わず粛々とやっていたのに...」と前年度からいる人たちは面白くないだろうと容易に想像できる。

「やらなくていいことはやらない。やらなければいけないことは手短に。」省エネ主義の折木奉太郎の名言が浮かぶ。
時間は有限、けれど業務量は減らないのだから。

そうこうしているうちに、次の配属先へ...なんてことになれば、貴重な時間と労力を捧げたあの仕事の意味は?なーんも成長してないまま次に行くの?

上述の会議の結果次第では、自分にも多少何かが降ってくるはずなので、結論は気にならないと言えば嘘になる。
更なる残業を強いられるのか、はたまた少しは合理的になるのか...

ボトムアップは、所詮ポーズに過ぎない」と既に経験済みなので期待はしないでおこう...

結論がどうなるのか考えるのがあほくさくて
こちらから「どうなりました?」と訊くのがめんどくさくて
どさくさに紛れて、定時で退庁しましたとさ。

ほんまはこれじゃあかんのやけどなぁ...

言霊

「過去と他人は変えられない」
これは人間関係に傷ついて落ち込んだら良く思い出す言葉。
「不可抗力によるがっかり事案」だと、このワンクッションがあるのと無いのでは随分心の持ち様が変わる。ダメージからの回復に時間がかかるのは仕方ないけど。
「この人が家族じゃなくて良かった...(縁を切るのが難しくないという意味で)」もセットでよく言い聞かせてる。

「未来と自分は変えられる」
これは最近、というかここ2年ほど頭をかすめたことすらない言葉。
何故なら"なりたい自分が分からない"から。現状に自分自身納得してない自覚はあるけど、その次のステップに進めない、否、正確には進む気になれない。
それどころじゃなかった。
父の闘病から死までの日々、残された母との関わり方...
自分のことは後回しで、そして現在進行形で。
この事に関しては、完全に"他人のせいでどーのこーの"というわけではなく、置かれている状況に拠るところが大きい。



以前なら、「やるかやらないか迷ったらやる」と決めて動けた。もちろんその結果は全部自分が引き受ける覚悟で。
当然良いことも悪いこともあって、でも充実感はあった。AかBか迷って選択する時は、なぜかだいたいしんどい方を選んできた気がする。それでも良かった。

でもそろそろ"自分のこと"で動かないとなぁ...
という焦りにも似た感情が湧いてきて、頭と心をざわつかせる。

やりたいと思うことは実はまだまだある。
その自覚があるにも関わらず、それに蓋をしてしまっている。後生大事にあたためていたところで、実際に行動しなければなーんにも変わらない。それも分かってるのにね...

「やってみたら大したこと無かったね...」が経験則から言えることだけど、よーく思い出してみたらその経験をするまでに結構なエネルギー(準備とか気持ちの整理とか根回しとか)使ってたわ。
今は自分のやりたいことをするためのエネルギーがそもそも無い、もしくは足りないのかも知れないね。

もしまだ未来があるのなら、前回のブログにも書いたけど悔いのない日々を送りたい。
"なりたい自分"を模索中だとしても。

もうそろそろ居なくなってくれてもこちとら一向に構わないんだが。

先日久々に仕事帰りに病院へ。

最近は薬の飲み忘れがあるくらいに、回復してきてるのかなぁと思っていたけど、やっぱりまだまだ不安要素が尽きず。いきなり薬なしになるのは正直怖い。
でもねぇ...
28日分の薬をもらうのに、一時間待合室にいるというのは、なかなか疲れる。
土曜の午前中も開いてる病院だけど、待ち時間は(予約制ではないので)一時間どころじゃすまない。緊急時以外、元気じゃないと病院行けないという...

ともあれ、初診から一年過ぎた。
その間に公私共々本当に色々あって、でもそのわりには悪化しなくてすんでいる(きつい薬に変えることもなかった)のが自分でも不思議。

そこでDr.に思いきって「どういう状態なら完治もしくは寛解なんでしょう?」と尋ねると、「社会生活を不自由なく送れるようになればそれに近いんじゃないかな。まぁ頑張りすぎは良くないからほどほどにね。」とのこと。
グレーというか、「うーん...」となってしまった。
で、自分の場合は多分まだだろうと思うことにした。
明らかに広場恐怖、予期不安が残っているから。
これからもつきあわねばならんのかぁという感情、早く発症前のようになりたい!のせめぎあい。

一度きりの人生なのに、これぐらいのことで足踏みしてるのもったいないよなぁとも思う。
今年みたいな災害の多い時にはなおさら。
極端に言えば、いくらやりたいことがあっても、人間いつ死ぬか分からないし、だからこそ死ぬ時に納得できるような人生にしたい。

母にその話をしたら「逆縁は嫌だ」と言われた。
まぁそりゃそうなるよね。
(母の話の逸れっぷり+お話泥棒ぶりが相変わらずすごい。)

今日はこれと言ってまとめになるようなことも書けないけど、今自分が抱えているPDってやつは、なかなかの居座り様であるということ、それぐらいかな。
このモヤモヤは当事者じゃないと分からんね。
ただ、身近な人で「実はPD持ちなんだ」とカミングアウトしてくる人いたら、偏見持たずにフラットな感じで受け止めてくれると助かるかも。